名誉革命によって失脚し、フランスに亡命した先王ジェームズ2世の後を受けて英国王位を推戴されたメアリー2世は、プロテスタント国オランダ出身の夫ウィリアム3世との共同統治を希望し、議会の承認の下に英国史上初の夫婦同権での共同統治を実現します。理想的な政治体制を体現した夫妻でしたが、1794年のメアリー2世の突然の崩御によって後継者問題が表面化します。事態を憂慮したウィリアム3世は、亡き妻の実妹アンを次期国王に推挙するために奔走します。その結果生まれたのが1701年の王位継承法で、王位継承者をステュアート朝の血を引くプロテスタントに限定するものでした。