HOME > アンティークコイン > フランス 1862年 ナポレオン3世 有冠 100フラン試作金貨 PCGS SP65CAM
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フランス大統領から皇帝への階段を登り詰めたナポレオン3世
後にナポレオン3世としてフランス帝位を推戴されるルイ・ナポレオンは、叔父ナポレオン1世の治世下に生を受けます。1815年にワーテルローの戦いにおいて英国に敗れた叔父ナポレオン1世の退位が決定した後、亡命生活を余儀なくされたルイは、七月王政期にフランスへ極秘帰国を果たします。当時、王政復古によって国王に推挙されたブルボン家出身のオルレアン公ルイ・フィリップのもとでフランスにおける産業革命は大躍進の時を迎えていました。しかし、普通選挙の拒否を巡って市民と対立した7月王政は、二月革命によって失脚します。これをきっかけに、ベルリンとウィーンの三月革命、さらにはヨーロッパ各地の民族運動へと発展し、ナポレオン1世以降のウィーン体制はここに終焉を迎えます。これに乗じて台頭したのが時の人ルイ・ナポレオンこと後のナポレオン3世で、第二共和制の臨時政府を率いた後に国民の投票によって大統領に選出されます。ナポレオン1世亡き後、混乱を極めていたフランスの政局は在りし日のナポレオン・ボナパルトがフランスにもたらした栄光を忘れることはなく、その統率力を1世の唯一の後継者であったルイ・ナポレオンに求めます。フランス第二共和政大統領の座を手中に収めたルイ・ナポレオンでしたが、その野望は天よりも高く、その絶大なる国民的人気を背景として、遂にフランス皇帝の玉座に王手をかけるに至ります。
叔父ナポレオン・ボナパルトの後継者として波乱万丈の人生を送った怪帝ナポレオン3世
常に自らの生命を賭して野望を実現することを厭わず、百戦錬磨の人生を送ったナポレオン3世こそは、叔父ナポレオン・ボナパルトの行動力を受け継いだ情熱の人でした。フランスへの奇跡的な帰還を果たすまでのナポレオン3世は、亡命と脱獄を繰り返し、ロンドンや、さらにはアメリカ大陸を転々として見聞を広めました。5年の長きに及ぶ獄中生活において、イギリス古典経済学や社会主義関連の書物に親しみ、1844年には初の著作「貧困の絶滅」を発表します。ナポレオン3世の治世は政治的に2つの時代に区分されるのが一般的で、前半の1850年代には権威主義的な独裁政治を前面に出し、後半の1860年代にはより自由主義的な改革を採用し融和を図ります。特に1850年代にはクリミア戦争でのフランス軍の勝利を導き、国家の権威を高めます。そして1860年代の英仏通商条約の締結は、ヨーロッパの自由貿易原則の構築に貢献し、皇帝の人生最大の功績として記憶されています。
19世紀フランスを代表する奇跡的プルーフ金貨の誕生
農民階級の絶大なる支持によって支えられていたナポレオン3世率いる第二帝政は、対外戦争の頻発によって大国フランスの威信を発揮します。時に叔父の名声を利用して、陰謀と策略によって権力を手に入れたに過ぎないと揶揄されるナポレオン3世ですが、20世紀への過渡期としての19世紀の乱世を生き抜き、独裁権力の行使によって投資銀行の設立、鉄道の開設、フランス初の万国博覧会の開催、自由貿易政策への転換、そして何よりもパリ大改造などを実現しました。その中でも、首都パリを世界有数の大都市に相応しい現在の我々が目にする形に変貌させ、対外的なフランスの権威の高揚に貢献を果たした点は皇帝の生涯最大の偉業であったと言っても過言では無いほどです。1862年に発行された当100フラン・プルーフ金貨は、全フランスに祝福されたナポレオン3世の栄光のポートレートを表面に刻む幻の名貨です。肖像画の下にはEとBARREの文言が刻まれていますが、E(Essai)はこのコインがプルーフとして発行されたことを物語っており、BARREは当時の高名なコインデザイナー、ジャック・バールの名を示しています。世界最高のコイン鑑定機関PCGSがこのデザインのコインに付与したグレーディングとしては最高位のSP65 Cameoが、このコインに唯一無二の希少価値を与えています。コイン裏面には宝冠を戴く第二帝政を象徴する鷲の国章、フランス帝国の銘文と100フランの通貨価値、そして発行年「1862」が刻まれています。コイン表面には類まれなる人生を送った人物にこそ相応しい真の勝利者の証である月桂冠を頭上に戴く皇帝ナポレオン3世の荘厳なる横顔が刻まれ、このフランス・アンティークコインの奇跡とも言える名貨を伝説化することに貢献しています。
品番 1064 鑑定番号 34663392
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