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遥かなるイングランドの秋

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日本列島を覆う酷暑の季節は今後もしばらく続きそうですが、今回は涼を求めて秋のイギリスへ皆様をお連れしたいと思います。
陽炎の真っ只中で命の限りに響く蝉の喧噪から遠く離れ、心にひとときの安息をもたらす旅の最終目的地はもちろんイギリスでなくてはなりません。

秋真っ只中のロンドン到着・ヒースロー空港から地下鉄でロンドン市内まで

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シベリア大陸を横断し、スカンジナビアの国々と北海を経由して上空の機内から見下ろす夕焼けのイングランドの大空は9月上旬にしては空気が澄みきっており、バラ色に燃え上がる眼下の景色はあと数十分での到着と相まって一層の興奮と想像力を掻き立てます。

約11時間のフライトを終え、イングランドの表玄関ロンドン・ヒースロー空港に無事到着します。ロンドン名物でもある地下鉄
(アンダーグラウンドが正式名称ですが、ほとんどのイギリス人はその形状ゆえに単にチューブと呼んでいます)に飛び乗り、
嗅覚の限りを尽くしてイングランドの秋の匂いを胸いっぱいに吸い込みながらのロンドン市内までの一時間はまさに至福のひと時です。

時折ドアが開くと秋の冷気と湿度のバランスが絶妙なロンドン郊外の心地よい空気が入ってきます。アメリカ由来の表現ではありますが、
秋の雨の降らない乾燥した心地よい数週間をインディアン・サマー(インディアンの夏)と呼びますが、イングランドにおいても時折用いられる、この季節特有の清々しさを端的に表現する気の利いた言い回しではないでしょうか。

心地よい外気に触れながら、車内に捨てられたフィッシュ・アンド・チップス(イギリスの国民的ファーストフード)の包み紙に残るモルトビネガーの匂いが胃を刺激し、なんとなく空腹を感じ始めた時、気が付くとロンドン市内中心地への到着を唐突に告げられます。
スーツケースを片手に何気なく駅を出ると、何か素晴らしい兆しを感じさせる夜の喧噪が目前に繰り広げられており、これから始まる秋の旅への期待で胸の高鳴りを抑えることができないほどになっています。

毎週土曜日のロンドンで繰り広げられる華麗なる祝祭

9月のロンドンの朝は涼しいというよりむしろ寒いというのが適当でしょうか。

今日はBBCの天気予報によりますと晴天に恵まれる土曜日のはずです。ホテルの部屋の、上下に開閉する旧式の窓をガタガタと開けてみますと眼下には公園の緑の絨毯がずっと向こうまで広がりを見せ、英国を象徴する色とりどりの薔薇がひんやりとした空気の中一面に咲き誇っており、これから体験するはずの土曜のイングランドの喜びと平安を全身全霊で表現しているかのようです。

伝統的で悠長な趣のあるイングリッシュ・ブレックファーストをじっくりと楽しんでなどいられないのが土曜のロンドンの朝です。
早朝から始まるイギリス最大のアンティーク市として知られるポートベローマーケットは午前10時過ぎには活況を呈するので、朝8時頃に到着するのがベストだからです。

最寄駅からマーケットまでの道のりは見どころが多く刺激的で、まさに「英国晴れ」とも言えるとっておきの土曜日の湿度の低い澄み切った空気の中を意気揚々と歩くこと10分、世界中の富の蓄積であるかつての大英帝国の遺産とも呼べる英国アンティークの名品の数々が所狭しと並べられている光景に出くわします。
入り口から数キロにも渡って続くアンティーク、青物、古着の大海原は壮観で、訪問者を温かく迎えると同時に威圧する力を強く感じさせます。

朝から何も口にしなかったことを急に思い出したので、道端で80ペンスで買ったテイクアウェイのアールグレイ紅茶をすすりながらしばしの宝探しの旅へ繰り出すべく雑踏に潜り込みます。
戦利品は持参したエコバッグにどんどん詰め込まれ、正午までには一杯になっているはずです。幸運にも入手できたジョージ王朝時代のブルーアンドホワイトのティーカップとソーサが本日最大の成果で、秋のイングランドのまぶしくも輝かしい日の光の下で見てみるとブルーの文様がくっきりと浮かび上がり精神を高揚させるほど見事で、日本に持って帰るのがもったいなく思えてくるほどです。

アンティークマーケットのさらに先には確か青物市場や古着のストールも並んでいたはずですが、今回は欲張らず次回に回すことにして、今や観光客やコレクターでひどく混雑している、しかし少し名残惜しい土曜の午後のポートベローの喧噪に別れを告げ、次なる目的地へと向かうことにします。

土曜の午後はケンジントン宮殿オランジェリーでのセレブレーション

収穫大の宝探しのあと感覚の赴くがままに向かった先は、ダイアナ元妃の公邸でもあったケンジントン宮殿の敷地内にあるティールーム「オランジェリー」で、
午前中のマーケットでの成果を祝して薫り豊かな紅茶とともに、土曜の時の移ろいを感じながら、午後のひと時を優雅に過ごすための最善の場所ではないかと思われます。

王朝時代風の漆喰細工で装飾された天井の高い内部では、くつろいで紅茶を楽しむ人々の会話やカトラリーの音が心地よく響き渡り、外では野生のリスが存在感をアピールするかの如く芝生を駆け回るのどかな田園風景が繰り広げられています。
「このまま永久に時間が止まって欲しい」そう願わずにはいられないほど、
時空を超越した半永久的な自由がそこでは約束されており、のどかな土曜の午後のイングランドの平和が人々のささやかな幸せを見守りながら、秋の空気と混ざり合ってこの18世紀の白亜のエルミタージュをじっと無言で支配しています。

ポット一杯の心温まるアールグレイを丹精を込めて焼き上げられた素朴なホームメードの伝統的英国菓子とともに味わう瞬間、「ああ、本当にイギリスに来てよかった」と素直に胸をなで下ろしながらそっと呟かずにはいられませんでした。
ティータイムを終え外に出ると、オランジェリーの周りの木々に弱弱しく鈍い光が差し込み、あまりにも早すぎる夕方の訪れをそっと静かに告げていました。

ロンドンからスコットランドの首都エディンバラへ

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ロンドンからスコットランドへの旅の選択肢は様々ですが、今回は車両の両側にグレートブリテン島のパノラマが広がる格別の美しさを堪能したかったため、迷わず列車での旅を選択することにしました。
ロンドン・キングスクロス駅を日曜の早朝に出発し、ケンブリッジ経由でエディンバラ・ウェイヴァリー駅まで5時間半。

エディンバラまで北上すると同じグレートブリテン島でもロンドンの気候と違って、極度に乾燥した空気のため肌寒く感じるほどで、とても9月だとは思えない晩秋のような趣きです。毎年恒例の世界的イヴェント、エディンバラ国際音楽祭の最終目玉演目、モーツァルトのオペラ「魔笛」を最高のキャストで観賞するためにはるばるロンドンからやってきましたが、19時の開演までの午後のひと時、どことなく物悲しく黒ずんだエディンバラの街をそぞろ歩いてみることにしました。

この日は寒かったものの晴天に恵まれ、数百年前にイングランドがこの町を征服したときに街中の建物を黒く塗りつぶしたという史実が信じられないほど、北方の秋空と高台からの景色の完璧な調和が見られます。
夜に鑑賞したモーツァルトのオペラ魔笛の神秘的な音楽ほど、午後に目にした世にも幻想的なこのエディンバラの雄大な景色と釣り合うものは無いように思われるほど、両者は絡み合い、心の中で絶妙に融合されていました。

スコットランドの荒涼たる秋の風情は旅人の疲弊した五感を癒し、灼熱の夏に失った人生に対する好奇心を再び取り戻す新たな力を与えてくれるように感じます。眼下に見下ろすこの世のものとは思えぬ街の絶景と自分自身の美意識か溶け合う瞬間、はかなくも掴みどころのない秋という季節をやっと自分のものにすることができたような錯覚にとらわれ、ついにこの美しいエディンバラが我が人生の一部になったような深い感慨を覚えずにはいられませんでした。