HOME > 特集 > 英国王室のグレートシール(国璽)シリーズ
"統治の鍵"とも呼ばれ、国の公的文書に付与されてきた国璽「グレートシール」がメダルとなって復刻。
ノルマン征服以前から何世紀にもわたり現代に至るまで国璽(こくじ)は英国君主の意思を示す重要な印です。1527年ヘンリー8世はフランス王フランソワ1世と金布の地における会談で英仏平和条約として知られるアミアン条約を批准しました。当時両君主は自国の力を誇示するためお互い豪華で高価な贈り物を贈りあっており、条約の締結には蝋印ではなく金印を国璽として使用しました。
別名「ブラ」とも呼ばれるこの国璽は平和の象徴であると同時に国の威信をかけたヘンリー8世のプライドを表す印でもあったのです。
英国の国璽はクラビス・レグニあるいは統治の鍵とも呼ばれ、司教の任命や国事など国家にとって非常に重要な公的文書に添付される印です。
一般的にデザインが彫りこまれた一対の金型や母型で柔らかくなったワックスをリボンとともに挟みこむことにより両面に刻印され、余ったリボンの端を結んで文書の封をするものです。
この度、各時代の英国君主の威光を示し続けてきた国璽がロイヤルミントにより「グレートシール・シリーズ」として復刻することとなりました。
国璽は、エドワード懺悔王とウィリアム征服王の治世以来、英国君主によって公式の意志と権威を象徴するために使用されてきました。
ヘンリー8世も例外ではありません。38年間にわたる治世の間に、デザインは時間の経過とともに劇的に変化し、ヘンリー8世の統治下で文化や芸術に多大な影響を与えました。
ヘンリー8世に限らず国璽は何度か作り変えられていますが、基本的に意匠は同じです。表面は王がローブを身にまとい王笏と宝珠を携えて玉座に着いている様子を描いており、裏面は王が戦士として馬にまたがっている姿が表現されています。
碑文には神の恩寵により王となり信仰の守護者であることがラテン語で書かれています。
しかし今回復刻されたのはアミアン条約締結にあたって特別に作られた「ブラ」をモチーフとしているため裏面のデザインが異なります。中央にテューダー家の紋章と大きな宝冠、周りにはテューダーローズが5つ配されています。
1520年6月7日、ヘンリー8世とフランス王フランソワ1世は、イングランド領のギヌとフランスのカレーにほど近い町アイドルの間にある中立地帯で会談を行いました。かつて激しい対立があった両君主が戦いの末に新たに築いた友好的な関係を固めることを目的として執り行われました。
会談の準備は2ヶ月以上もの時間がかかり、「水晶宮」のような贅をつくした宮殿が建設されたり金糸を使ったテントが建ち並んでいたことから「The Field of Cloth of Gold -金の布の地-」と呼ばれるようになりました。
18日間にわたって開催される会談は友好関係を深める場でもあり、期間中には騎馬戦やレスリングなどのスポーツで両国とも楽しいひとときを過ごしたといわれています。
最後から2日目にはミサが開かれ、その終了後、人々は空を飛ぶ壮大なドラゴンを目にし驚嘆しました。それは2人の君主の友情を象徴するべく木製の輪で編まれた凧にテューダー朝のドラゴンとフランソワ1世のサンショウウオの紋章を融合させたものが描かれ、宙を舞っていたのです。
6月24日、会談は無事終了したものの平和は長く続くことはなく7年後の1527年に両君主は再び会談し、英仏永久平和条約として知られているアミアン条約を批准しました。
ヘンリー8世とフランソワ1世はアミアン条約における自らの役割を証明するために、本来国璽に使われる蝋印ではなく金印を使用することにしました。両君主の誇示癖は前回の会談から衰えることなく、平和条約であるものの自国の優位性を見せつけるが如く豪華絢爛な品を贈りあいました。
金の国璽は別名「Bulla-ブラ-」と呼ばれこの度ロイヤルミントの手によって「グレートシール・シリーズ」第1弾として現代に蘇りました。
未鑑定
箱付き
ご予約承り品