30年かけて作られた傑作
ワーテルロー・メダル:同盟指導者
表面の中央には4人の同盟指導者の胸像が描かれています。これらの肖像画を囲む境界線には、戦いの後に生まれた平和条約への寓意として、神話上の人物が数多く描かれています。これらの神話上の人物は、それぞれが特定の美徳や平和の象徴を表しており、戦争の終結と新たな時代の始まりを祝福する役割を果たしています。
伝説の彫刻師 "ベネデット・ピストルッチ" の幻の名作「ワーテルロー・メダル」の復刻版メダルがリリース。
オリジナル版「ワーテルロー・メダル」は、1815年に勃発したナポレオン率いるフランス軍とイギリスを始めとする連合国軍による戦争「ワーテルローの戦い」での勝利を記念し、1819年にロイヤルミントによって制作がスタートしました。
このプロジェクトに指名された彫刻師が、当時「聖ジョージの竜退治」を発表したばかりのピストルッチでございます。
「ワーテルロー・メダル」の鋳型の制作には30年もの月日が費やされましたが、その鋳型の大きさから鋳造は困難を極め、ついに一つもメダルが作られることなくワーテルロー・メダルの制作プロジェクトは終了してしまいました。
現在、このメダルの鋳型などはロイヤルミント・ミュージアムにて保存されております。
表面の中央には4人の同盟指導者の胸像が描かれています。これらの肖像画を囲む境界線には、戦いの後に生まれた平和条約への寓意として、神話上の人物が数多く描かれています。これらの神話上の人物は、それぞれが特定の美徳や平和の象徴を表しており、戦争の終結と新たな時代の始まりを祝福する役割を果たしています。
1789年にフランスで勃発した大革命の余波は、それ迄の既成の概念を覆す勢いでヨーロッパ全土に広がりをみせていましたが、次の19世紀という激動の時代の発端としても永久に記憶されることと思われます。
下級貴族出身のナポレオンの生来の権力欲はすさまじく、1802年には遂にフランス皇帝の座を掌握するに至ります。その後の10数年間、領土拡大を目的とする対外戦争に明け暮れた彼は、1804年には対英国戦として知られるオーステルリッツの戦いにおいて圧倒的な勝利を収めます。
ほぼヨーロッパ全域を手中に収めたかに見えた一連のナポレオン戦争の戦局でしたが、同戦争の終盤戦となったワーテルローの戦いにおいては、ウェリントン公爵率いる英国の連合軍に対して、フランス軍は歴史的な大敗を喫し、遂にナポレオン自身も南大西洋の孤島セントヘレナへと送還されるという悲劇的な結末を迎えます。勝利を獲得した英国でしたが、国内の戦後の経済状況は極端に困窮していたことも確かで、金本位制に基づく新たな貨幣制度の導入によって解決を図ることを余儀なくされるほどでした。
ワーテルローの戦いが集結した年、つまり1815年に英国貨幣界に突如として姿を現し、彗星の如くデビューを果たしたのが、イタリアのローマ出身の経験豊富で腕利きの彫刻家、ベネデット・ピストゥルッチその人でした。
彼は同時期の英国王立造幣局で活躍していたワイオン一族の末裔であるウィリアム・ワイオンと並ぶ英国貨幣界の二大巨頭として活躍し、また貨幣デザイン史にその名を刻む名人として今でも高い人気を誇ります。
そのピストゥルッチが、ナポレオン戦争後の貨幣改革の流れに沿って発表し成功を収めたのが、今日なおも英国貨幣デザインの最高傑作との呼び声高い「聖ジョージの竜退治」の意匠に他なりません。
馬上から悪の権化のドラゴンを槍で一撃の如く退治する聖人ゲオルギウスの颯爽たる姿は、何よりも英国君主の権威を象徴するものとして観る者に憧憬を抱かせます。
当時の英国貨幣界屈指の才人と見なされていたピストゥルッチですが、英国貨幣史を代表する名人として今日、その名を歴史上に刻んでいます。
コイン彫刻家の第一人者ピストゥルッチが制作したメダルの傑作「ワーテルロー・メダル」が、ロイヤルミントの「偉大なる彫刻家シリーズ」の第6弾として現代に復刻されました。このメダルは、ナポレオン戦争後の英国軍の勝利を記念し、当時の英国君主と連合国君主のポートレートが描かれています。2022年に新国王チャールズ3世の肖像が加わり、21世紀の技術で再現されたこの作品は、19世紀初頭の英国貨幣史の最盛期を再び脚光を浴びるものとなっています。
未鑑定
箱付き
ご予約承り品