HOME > 「メイフラワー号、その航路」

「メイフラワー号、その航路」

2020_1114_mail1.jpg

今回は「2020年メイフラワー号上陸400周年記念コイン」について、前回よりその歴史的背景を更に掘り下げてご紹介致します。

自由と栄光の象徴として発行されたメイフラワー号アメリカ上陸400周年記念コイン

人生を旅と捉える時、旅そのものが人生の尊さを教え、精神を高揚させる原動力であるということに気づかされることがあります。数年前にロンドンからニューヨークまでの空路での旅行を体験しましたが、距離的にはメイフラワー号の大西洋横断のそれと大差ないはずですが、僅か6時間ほどのニューヨークへの飛行は、66日間に渡ったメイフラワー号による空前のドラマとは比べるべくもないにせよ、アメリカ上陸への興奮と期待で満たされ、実際の到着以上にその「到着しつつある時」は感動もひとしおであったことが脳裏に焼き付いています。

自国を離れ、旅に出た時に初めて本来の自分の姿が見えてくるのではないでしょうか。本質的に何を求めているのか、また自分とは如何にあるべきか等、
人間としての存在の意義を確認する完全に自由な時間の確保が時として人生に新たな好機をもたらします。

ピルグリム・ファーザーズの当初の目的は言うまでもなく信教の自由の獲得であったはずですが、実際にこの壮大なる旅の果てに得たものは余りにも大きく尊いものでした。
またアメリカ上陸以降、彼らの旅は何世代にも渡って延々と続きますが、ついに遠きアメリカを安住の地と定め、そこで彼らが遭遇した最善のものは、宗教的には本国と対立していたはずですが、純英国人としての絶対感=プライドだったのではないでしょうか。

一般的に理解されているメイフラワー号伝説とは対照的な見解かもしれませんが、現在のアメリカ的価値観の生みの親は実はピルグリム・ファーザーズの故郷イングランドであったという最終結論に到達します。
これこそ今回の一連のコイン・シリーズ発表の大義であり、なぜ英国のロイヤルミントによって発行されたのかということの最も的確な返答に他なりません。
もちろん400年前のピルグリム・ファーザーズの希望と夢は、全てのアメリカ人にとっての伝説のアメリカン・ドリームとして永遠に記憶されることでしょう。
また彼らの献身的な努力を見届け夢を叶えたアメリカの大地は、自由と民主主義の象徴として今後も世界中の人々を魅了し、世界第一の大国として存在し続けるに違いありません。

メイフラワー号の史実が生きた伝説として刻まれている英国ロイヤルミントによる今回のコイン・シリーズの発行ですが、この400年前の感動の物語が、
コインの所有者、またコインを愛する者全てに自由と栄光をもたらし、力強く生きて行くためのバイタリティーを与えることを願って制作されました。
アメリカ合衆国の建国にまで至ったピルグリム・ファーザーズの高邁な理念を今の世に伝える当コイン・シリーズは、
無限の自由と恒久的な繁栄を一人一人に約束する強運の象徴であり、そのあらゆる表現を超越した美しさは今後もメイフラワー号の伝説に永遠の輝きを与え続けることでしょう。

アメリカ独立戦争以前に二度歴史に登場する欧州から新大陸への特筆すべき渡航

アメリカ独立戦争以前にヨーロッパ人によるアメリカ大陸への航海が歴史に登場する機会は二度ありました。
一回目は大航海時代の探検家クリストファー・コロンブスによる1492年のアメリカ大陸の発見であり、二回目は信教の自由を求めて大西洋横断の旅を遂行したメイフラワー号の乗船者達による1620年の新大陸への上陸です。

特にメイフラワー号のアメリカへの渡航は、その後イギリス国内で勃発した清教徒革命(1642-1649)に先駆けること22年、英国国教会と対立しキリスト教の原点への回帰を唱えたピューリタンによって、
信教の自由と共に彼らの理念がアメリカ大陸にもたらされたという点で大きな意義があります。またそれが独立戦争以降のアメリカの政治的基盤の構築を実現し、合衆国としての未来の指針を決定づけたことは歴史的に見て特筆に値します。

このことから、メイフラワー号の上陸が決して単なる過去の史実ではなく、現代のアメリカ合衆国成立に至る近代アメリカ史とその世界的繁栄を深く理解する上で不可欠であるとの認識に至ります。

新大陸への渡航を余儀なくされたさまよえるピルグリム・ファーザーズ

2020_1107_mail3.jpg

貨物船として造船されたメイフラワー号は、元々イングランドの港からヨーロッパ各地に物品を運ぶ商業船として機能していました。
その頃、イングランド国内で頻発する清教徒に対する弾圧は激化し、彼らの国外への脱出はもはや回避できない状況となっていました。

清教徒の中でも2派に分裂しており、穏健な思想を信奉する長老派と、それを良しとしない分離派(カルヴァン派)が存在していました。
この対立は分離派に国外退去を決心させ、自らの思想を発信する拠点をヨーロッパ大陸の各地に築かせ、
信仰を守り抜くことに専心させます。この時期に信教の自由を求めて欧州を往来していた所から、分離派清教徒はピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)と呼ばれるようになります。

しかし、生粋の英国人である彼らは、多様な文化的背景を持つヨーロッパ大陸において自らのアイデンティティーを見失い、いつしか大西洋を越えてイギリス領である新大陸で目標を達成するという一見非現実的とも思える理想を抱くようになります。
渡航への第一歩として、植民地の運営に携わる投資団体の協力を得て経済的問題を解決します。かくして彼らは隠密に渡航を画策し、真夏の穏やかな海を信じ、波止場への道を急ぎます。

現代アメリカの創始者とされるピルグリム・ファーザーズの神話の真実

2020_1114_mail2.jpg

希望を胸に抱いて乗船したピルグリム・ファーザーズを待ち受けていたのは想定外のアクシデントで、まるでその後の数奇な運命の前兆のようでした。
1620年8月、予定通りにサウサンプトンを出航したメイフラワー号とその副船スピードウェル号でしたが、
スピードウェル号の思いがけない故障により一旦帰国することになります。イングランドへの一時帰国中に身の危険を感じたピルグリム・ファーザーズにとって再出航は一刻を争う問題でした。

そしてクリストファー・ジョーンズ船長率いるメイフラワー号は、当初の予定より一カ月遅れの出航を再計画し、
1620年9月16日の明け方、遂に故郷に永遠の別れを告げます。宗教上の対立によって後にしたイングランドでしたが、やはり彼らにとっての愛おしい故郷には変わり有りませんでした。
その後の66日間に渡る揺れる船旅の中で、乗船者たちはビタミン不足による体調不良や水不足のための不衛生な環境に悩まされ続けます。
伝染病によって多数の死者を出すことになりますが、航海中に新しい生命の誕生にも遭遇し、自由にあえぐ人々の希望の光となります。

乗船時に搭載されていた400樽ものビールは上陸前には底をついていたとのことです。アメリカ大陸に最初にビールをもたらしたことが、
後にメイフラワー号の別の一面を世に知らしめることになり注目を集めます。「コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカ大陸を発見した時ではなく、
それを発見しつつあった時である」と言ったのは、かの19世紀のロシアを代表する文豪ドストエフスキーでした。コロンブスの大航海から100年以上の時空を経て、大西洋の対岸に向かって突き進むメイフラワー号の乗船者達は、この航海がコロンブスの世界初の記録以上の歴史的恩恵をその後数百年に渡ってアメリカにもたらすことになるとは露ほども思わず、
やがて彼らが手にするはずの自由と平和を眼前に思い描きながらも焦燥感と興奮でまんじりともせず暗い船底での時間を過ごしていました。

出航から何日たったかも思い出せないほどの長旅の果てにニュー・イングランドの陸地が、自由の大地が遂に彼らの前に姿を現し、余りにも唐突に旅の終わりを告げます。
しかし11月のニュー・イングランドの気候は新米者の彼らには極めて不親切でした。
彼らを拒絶するかの如く荒れ狂う嵐によってルート変更を強いられたメイフラワー号は、予定地より北東に位置するケープコッドに何とか上陸します。肌寒い冬の到来を告げる11月21日のニュー・イングランドでした。

錨を下ろした後、新大陸上陸を前に、秩序を維持し、信教上の分断を避ける目的で締結されたのが歴史的に有名な「メイフラワー誓約」です。
ここに初めて新大陸での法の下における秩序が芽生え、後のアメリカ合衆国における民主主義の起源が誕生します。
その後のアメリカの命運を左右する劇的な幕開けとなった上陸当日でしたが、長旅の疲労感はあったものの言葉で表現できない程の安堵感で満たされた乗船者達の幸せな一日が静かに終わろうとしていました。

新大陸でアメリカ的人生を模索するピルグリム・ファーザーズの後日談

ニュー・イングランドでピルグリム・ファーザーズを待ち構えていたのは情け容赦ない厳寒の気候と飢餓でした。長旅の疲れと食糧不足で彼らの約半数が命を落とします。
上陸後もしばらくの間船上での生活を送っていた彼らは、次第にニュー・イングランドの地に同化していきます。

食糧不足の彼らを援助し、農耕によっての生きる道を示唆したのは太古の昔からその地に住むネイティブ・アメリカンたちでした。
この共同作業によって信頼関係が築かれ、秋には彼らと共に収穫を祝してフェスティヴァルを開催しますが、感謝の気持ちを天に伝えることだけは決して忘れませんでした。
これが現在も同地で行われている「感謝祭」の起源であり、他では見られないこの地方ならではのネイティブ・アメリカンとの長年にわたる友好の証とされています。

これはその後のアメリカ合衆国における多民族共存社会の原点と見なされ、現代アメリカ社会の多様性を示す典型的一例として注目されています。
その後も本国イギリスが支配する植民地の開拓に全人生をかけて挑み、やっと自分たちの信念が異国の地で報われたと感じた時、
心の中にアメリカ人としてのアイデンティティーが芽生えていることを彼ら自身が感じないわけにはいきませんでした。そんな彼らが次に克服すべきであったことは、本国イギリスからの完全なる脱却でした。
やっと手に入れたつかの間の平和でしたが、彼ら不屈の魂は運命に翻弄され、アメリカ独立戦争への道を突き進みます。その命懸けの守備と攻撃の成果は即彼らの子孫の未来でもありました。

アメリカ独立戦争での勝敗の結果は英国の植民地支配からの完全なる撤退を意味していました。こうしてメイフラワー号の上陸から163年後にその子孫たちは遂に真の自由を勝ち得るに至ります。
そしてその激烈を極めた戦闘の勝利こそが、現在まで脈々と受け継がれているアメリカ合衆国独自の倫理観と民主主義を大成させた直接的動機であり、深く歴史に刻まれ国民の標榜として現在でも尊重されています。