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【Vol.63 グローバルマクロニュース】感染再拡大のいま、発信したいこと-前編:問題点とあるべき姿

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1世紀に1度の世界的パンデミックのいま、国民それぞれが何かしら感じること、思うことがあるようです。
SNS上では、日々、コロナというキーワードを軸として、様々な発信がなされています。
それは、将来への不安であったり、現状への不満であったり、心の中で様々な負の創造物を形作っています。

そうした、負の感情は内側に溜め込むことなく、何かしらの方法で外に出す必要があります。
肉体と同様に精神もデトックスされ、浄化されるべきなのです。
筆者はコロナ禍において、これまで支持してきた政権の失策、国民との感覚のズレ、そして一部国民(特に同世代である若年層)の感染症に対する意識の低さに愕然としています。

幸いにも筆者のツールボックスの中には、本ブログという発信手段、そして何よりも毎号をお読みくださる、貴重な読者様が存在します。
「コロナ再拡大のいま、発信したいこと」の前編においては、感染拡大の現状や政策の問題、改善点について考えます。
後編においては、疫学的・医学的見地から、新型コロナそのものと今後について考えます。

経済対策か感染症対策か

「経済を動かさねば、経済で死人が出る。」
5月の緊急事態宣言下において、頻繁に聞かれた言葉です。
ですが、感染が再拡大していては、経済再開のベースはマイルドになってしまいます。
まずは、感染拡大を徹底的に止めてから、本格的な再開を行うべきです。
必要となる資金を捻出するための、財政規律の緩みはこの際、止むを得ません。

もし、早期に、移動等の封鎖的措置を行なっていれば、感染はその規模を縮小し、大規模な経済損失を被る必要もなく、財政悪化も防げたはずです。

もちろん、感染症対策は「移動の自由」、「集会の自由」等の現行の憲法で保証された権利を侵害しない範囲内で行われるべきですが、「お願いベース」に留まったことからも、憲法が感染阻止を邪魔した一面も否定できません。
リスク対策の大前提として、仮に空振りをするリスクを背負ってでも、まずは大きく網をかけた上で、徐々にそれを緩めていくのが王道だと思います。
その結果として生じる、全ての責任は政府が負うという姿勢が必要でした。
ですが、臭いものには蓋をして、汚職にはトカゲの尻尾切りで対処してきた現政権に、そのような言葉は望むべくもありません。

前後から攻撃を受ける国民

5月までの急速な感染拡大は、国民と政府との感覚のズレを表面化させました。
その中においても、国民と政府と間には一抹の信頼感と多少の相互理解が存在し、それが均衡点として作用していました。
ですが、後述のGo to キャンペーンは多方面からの批判の的となり、多くの国民からも理解を得られず、脆い均衡点さえも破壊するものとなりました。

諸外国と比較しても、悪い意味で政策的無策さは際立っています。

政府に対する不満は、強引な経済優先の施策により、国民の失望を買い、一部では諦めさえ見え隠れしています。
人間は、絶望の中に置かれても、一抹の希望を自ら探し求め、それを糧としつつ希望を持ち続けるはずです。
例えば、戦局が混迷を極める戦火の中でも、勝利という希望を抱き、仲間と闘います。
ですが、コロナとの戦においては、前方で休みなく動き続けるコロナと立ち向かう最中、後方から味方と思っていた政府から銃撃を受けています。
こうした挟み撃ちの状態では、国民の心に平安は訪れないでしょう。

必要とされる「リスクコミュニケーション」

国家・国民に仕えるのか、地位や党に仕えるのか?
危機時における、トップの国民への発信(リスクコミュニケーション)がそのリトマス紙になります。
ドイツのメルケル首相は、感染拡大防止のため、一時的であれ国民の権利が侵害されることへの理解を求めました。

そのスピーチにおいては、自身の東ドイツにおける苦しい暮らし、その末にようやく獲得した個人の権利の重要性を必死に解きながらも、感染拡大防止のためには一時的な権利の喪失が止むを得ないことを訴えました。
その言葉は国民の琴線に触れ、感染の早期収束も併さり、失っていた支持を一気に取り戻す結果となりました。

そしてドイツという国そのものも、欧州においてプレゼンスを取り戻すことができました。
良好な成果がもたらされたことは、常日頃から国民と国益を考え、両者に仕えてきた証左だといえます。
日本国の都道府県知事の中には積極的に情報を発信し、自分自身の言葉で市民に語りかけることで、「理解と協力」を獲得しているリーダーも数多く存在しています。

他方で、これまで蓋をしてきた臭いものが溢れ出し、その異臭から逃げるように雲隠れしている日本国のリーダーからは、国民と向き合う気持ちは見られません。
その姿勢が不満や不安を生み、現政権の求心力と支持をますます低下させているのです。
もう一度初心に戻り、誰に仕えているのかを考え直すことが、職務放棄に近い状態からのリハビリになると思われます。

強行されるGo toキャンペーンは、どこへ向かうか

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Wall Street Journal(7月16日朝刊)にまでGo to キャンペーンにまつわるゴタゴタが取り上げられています。
記事は「東京を対象外とする直前」に書かれたもので、243という過去最高の新規感染者数とともに、東京都と政府との溝の深さが子細に描写されています。
そして、SNS上での国民の声として、「より有効なお金の使い方をして欲しい」と記事は締め括っています。

本来は8月開始予定であった同キャンペーンは前倒しされ、強行されようとしています。
感染拡大期において、旅行キャンペーンを行う政府など聞いたこともありません。
2兆円近い予算を使うのであれば、確実に効果が得られる時期に行うべきで、強引な予算の無駄遣いに他なりません。
様々な規則を設けたキャンペーンでは、本来の効果は発揮される筈もありません。
検査数が増加しているにもかかわらず、陽性率も上昇するという一番マズい時期にこのようなキャンペーンを行う理由は国民も理解できていません。

東京都では、経路不明感染者は既に半数を超えており、他の大都市においても市中感染の拡大が起きつつあります。
そもそも、地方の医療体制は脆弱で、PPE(個人防護服)、病床、高度な医療機器(人工呼吸器や人工心肺装置など)の不足、それを扱えるスタッフさえもいないのが実情です。
ましてや、地方には高齢者が多いため、致死率に年齢依存性のある新型コロナ再拡大のいま、ハイリスク層の多い地域への不要不急の移動は控えなければなりません。

無症候感染者も多く存在しますが、彼らが自覚なく移動すれば、感染が地方に拡大します。
大阪の吉村知事、東京の小池知事、ほとんどの都道府県の知事がキャンペーンに反対の意を表明しました。
仮に観光を行うのであれば、公共交通機関ではなく、自家用車を用いて地元の近隣地域へ、マイクロツーリズムという形での旅行が無難です。
そうして、様子を見ながら、段階的に旅行の距離と規模を拡大していくのです。
強行されるGo to キャンペーンは、人災となる可能性さえ秘めています。

感染再拡大の理由

そもそも感染はなぜ再拡大したのでしょうか?
都自身が設定した東京アラートが轟音を立てて鳴り響くにも関わらず、それを無視し、コンセントを引きちぎったことは述べるまでもありません。
より問題だったのは、「初期(初動)の対策遅れ」です。
東京五輪延期決定後、小池都知事は人が変わったかのように、経済優先から、感染阻止への姿勢の変化を見せました。
ですが、東京都知事選を前に、どうも経済優先に前のめりになりすぎたようです。
都知事選は白紙委任で再選されることは、ご本人もわかっていたはずです。
それにも関わらず、経済優先の姿勢に転じた背景には、都の懐事情があるようです。

当初、約1,000億円あった予算は、5月までの危機対応により7月中頃には残り100億円程度にまで激減してしまいました。
そうなれば、打てる対策も限られてきます。
都知事の毎日の会見からも、「夜の街」という発言が何度も飛び出していました。
それは、感染が「夜の街」だけのものであるという、他人事にさえ聞えました。
ですが、夜の街の従業員や顧客は、当然のことながら昼の街にも出かけます。
新宿には約240のホストクラブと8,000人ほどの従業員が存在するとされています。
同地域ではウィルスが蔓延し、陽性率は30%台にまで急上昇する有様です。
本来であれば、業種・地域が絞れていた初期の段階で、都として休業要請と、保証とをセットで行うべきでした。

ですが、予算不足もあり、なかなか前向きになれなかったようです。
結果として、夜の街に集う人々は昼の街にも出歩き、東京都全体の陽性率を1%台から2桁%近くまで引き上げてしまいました。

そして、東京から各地方への移動により、感染が拡大する事例が散発的に見られます。
東京都の力で抑えきれないのであれば、国と一体となり、必要なら頭を下げてでも何かの支援を求めるべきでした。
ですが、政府と都知事との間に見られたのは、言葉の応酬ばかりで、建設的な議論の土台作りさえままならなかったようです。

必要とされる体制の見直し

緊急事態宣言下、政府は国民に接触8割減の呼びかけを行い、国民はそれを見事にこなしました。
他方で、政府の役割である、PCR検査数は相変わらず目標ほどは伸びていません。

最近では、新しい検査機器や検査手法も導入されつつありますが、それらは地方や企業主導であり、政府のリーダーシップはみられません。
さらにまずかったのは、明治時代の行政検査という考え方が抜けきれていないことにあります。
政府から厚労省、厚労省から自治体へ、自治体から保健所へ、そして保健所と医療機関のやりとりという、伝言ゲームが緊急事態宣言下において、混乱を拡大させました。

トップダウンで、保健所に情報が伝わらない制度設計そのものが、情報伝達の「速度と正確性」の点から問題だったのです。
例えば、厚労省の指針が保健所にまで届いておらず、クリニックからのPCR検査依頼が保健所に拒否される例も散見されました。
これも制度不備の最たる例で、「縦割りの各省庁を横断的に統括する組織」や、政府や各省庁から完全に独立した、日本版CDCの創設も必要となります。
今回のような、感染症のみならず、テロや自然災害が「起きることを前提」とした、危機管理全般に対する組織体制のあり方も今後、事後検証を行いつつ見直し、正しい形に再構築していかねばなりません。


前編におきましては、感染再拡大の現状を整理いたしました。
ウィルスとの戦いにおいては、少しの油断があっという間に命取りになることが分かります。
また、仮に空振りしたとしても、早すぎる位の早期警戒を取る方が、後手に回るよりも好ましいことを2回の感染拡大が教えてくれています。
早期アラートを発動するに当たっては、指導者の理念や国民とのコミュニケーションが肝になります。

そして、検査こそが早期アラートの発動タイミングを教えてくれます。
従来型の情報伝達の仕組みでは、情報の速度及び正確性に不備が生じます。
それは、スピードと正確性が命の危機管理においては、命取りとなります。

様々な問題点が浮上したことは、ウィルス対策のみならず、災害やテロをはじめとした、あらゆる危機管理体制・組織構造を再構築する機会を与えられたと捉えることもできます。

後編では、新型コロナの性質に焦点をあて、欧米の医学論文や症例、中国からの報告をベースにし、今後について考えます。